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連載コンテンツ葬儀屋の息子の日記

葬儀の現場から見える「いい人生」とは?感謝を伝える大切さとアルテの使命

人間の幸せは相対比較できない

―― こんにちは! 今日もよろしくお願いします。

葬儀屋の息子:相変わらず声が大きいですね(笑)

―― ええ。まち中で普通に話しているだけなのに、多くの人が振り向くくらいです。

葬儀屋の息子:でしょうね!

―― それはさておき、ノブくん、今日は、ちょっと質問があります。

葬儀屋の息子:なんでしょう?

―― アルテは、亡くなった方の人生に踏み込んでインタビューし、葬儀の司会進行において、ナレーションとして、ご家族や参列者に伝えるわけですよね。

葬儀屋の息子:はい。

―― そうなると、流れ作業のように葬儀を行う葬儀社と違って、亡くなった方の人生に、言い方は変ですが、かなり詳しくなるわけですよね。

葬儀屋の息子:そうですね。葬儀社の中には極端な話、亡くなった方がどんな人だったのか分からないまま葬儀を終えてしまう場所も少なくないと思います。

―― ならば、ちょっと聞きたいのですが、亡くなった方を見送りながら「この人の人生はきっといい人生だったんだろうな」と感じる人と、そうは思えない人の違いってありますか? 

前にも話題に出た、自己啓発本として世界的ベストセラーになった〈7つの習慣〉という本があります。

その本では、自分が死んで、霊魂になってから自分の葬儀を空から見ていると仮定して、残された家族や友人にどのように見送られたいか、「こんな人だったよね」と語ってもらいたいかを思い描いた上で、その理想の最期になるように今から逆算して生きろみたいな話があります。

いわば、ノブくんは、その最期の葬儀を、普通の人と比べて、けた違いの頻度で見ているわけですよね。

そんな葬儀屋の息子からしても「ああ、この人、きっといい人生だったんだろうな」と思う瞬間はありますか?

葬儀屋の息子:それは、ちょっと難しい質問ですね。どんな人の人生にも、いい瞬間もあれば悪い瞬間もあります。

苦労が多かった、けんかが多かったからといって必ずしも悪い人生とは言えないはずです。逆に、忙しかった、大変だった、必死だったけれどいい人生だったとも言えるはずです。

今日は、一段と落ち着いて語る葬儀屋の息子

極端な話、わがままを通して、本人としては充実した人生を送っているように見えて、奥さんや娘さんが大変な我慢や苦労を強いられている場合もあります。

いいも悪いも人の感じ方次第、どの角度から見るかで大きく変わってきます。

いわば、無限のグラデーションの中で、微妙な濃淡の違いがあって、その濃淡も見る角度で変わるので、人間の一生の幸せはどこまでも、相対比較できないのだと思います。

―― いきなり深いですね。

葬儀屋の息子:なので、僕の答えは「誰の人生も尊くて、いい人生、悪い人生の明確な基準はない」になります。

言い換えると、見方によっては全ての人生が尊く、見方によっては全ての人生がはかないと言えるのかもしれません。

―― すごい30歳。

葬儀屋の息子:でも仮に、明確な共通点が人の一生にあるとすれば、どんな方の人生にも、誰にも似ていない物語があるという点でしょうか。

ナレーション用のインタビューで亡くなった方の人生をお聞きするたびに「なるほど、そういう紆余(うよ)曲折があったのですね」と引き込まれてしまう自分がいます。

―― それだけ、亡くなった人とその家族に感情移入して仕事をしているのですね。

葬儀屋の息子:はい。他の社員も同じだと思います。

ただ、これでは、マサヨシさんの期待する回答にはなっていないと思うので、マサヨシさんの質問に寄せて、あえて、いい人生だったんだろうなと感じる瞬間を言葉にするとすれば、人間関係の深さでしょうか。

―― 人間関係の深さですか。

葬儀屋の息子:周りからその人が愛されていたかどうかは、葬儀に参列する参列者の多さで推測できます。

葬儀の場に来る方は、基本的には、亡くなった人と仲の良かった方です。家族、親せき、友人、知人が大勢集まっていれば、亡くなった方と周りとの生前の関係性が自然に伝わってきます。

ただ、数だけではありません。参列者の悲しんでいる姿と涙の頻度を見れば、亡くなった方がどれだけ愛されていたのかが伝わってきます。

そういう方のご家族に、ナレーション用のインタビューをするとやはり、具体的で深い話がたくさん出てきます。

搬送のための設備チェックに余念のない葬儀屋の息子

単に「優しかった」で終わりではなく、どのように優しかったのか、こちらが無理して深掘りしようとしなくても、いろいろな言葉が出てきます。

そういうご家族に見送られた方は、もしかすると幸せな人生を送ったと言えるのかもしれません。

―― 確かに、そうかもしれませんね。なんとなく、自分の最期もそうあってほしいと思いますし。

葬儀屋の息子:とはいえ、繰り返しになりますが、それでも本当に幸せだったかどうかまでは分かりません。

参列者が少ない葬儀であったとしても「俺は、私はこう生きるんだ!」とコンセプトを明確にし、好き放題やって生きてきた、やりたいことを全てやって生きた結果、一人で過ごしてきたのであれば、不幸せだったとは周りが勝手に判断できないと思います。

結婚をしないまま長寿をまっとうした方の場合も、見送る家族がほとんどいない状況にどうしてもなりがちです。しかし、一方では、長生きできたという見方もできます。その意味で、幸せか否かは単純に相対化できないのだと思います。

亡くなった方の生前の姿が思い浮かぶ

―― ちなみに、少し話がそれますが、見送る家族が極端に少ない場合でも、あるいは亡くなった方との関係性が薄い参列者ばかりの場合でも、ナレーションはするのですよね?

葬儀屋の息子:もちろんです。

―― その場合、ナレーション用にインタビューをしてもなかなか話が広がらないのではないですか?

葬儀屋の息子:例えば過去に、参列者が、亡くなった方のめいっ子さんだけといった葬儀がありました。亡くなった方とも3~4回しか会った経験がない、仕方ないから葬儀に参列したといったケースです。

こういった場合、参列者と亡くなった方との思い出がそもそも少ないので、コメントが薄くなりがちです。

また、参列者も少ないので、ナレーションを聞く人も少なく、ナレーションをする意味がそれほど生まれない場合もあります。

しかし、いろいろ話を聞いていると「お父さんの弟だから、そんなに記憶はないけれど、小さいころはきっと大切にしてもらったはず」といった言葉が出てきます。

少しずつでも言葉や情報が相手から出てくると、われわれ葬儀社の側にも、亡くなった方の生前の映像が浮かぶようになります。

もちろん、葬儀社の側が、亡くなった方の人生を深く知る必要はないとの意見もあると思います。

しかし、葬儀とはその程度でいいという思い込みが僕は嫌いなんです。

「こうだったらいいのに」というサービス目線に立てば、亡くなった方のご家族に葬儀社が感情移入してサービスを提供した方が絶対にいいはずです。サービスが変われば、葬儀に対する暗い印象や退屈な印象も覆せるはずです。

だからこそ、亡くなった方についての情報を、ナレーションや想い出ギャラリーの準備を通じて、深く知っていく作業が重要なのだと思います。

―― ナレーションなどの演出は、参列者を感動させるためだけではなく、自分たちの感情移入にとっても必要なのですね。

葬儀屋の息子:そうですね。

あと、マサヨシさんが聞いてくださった今日のテーマである「幸せな人生」にもう一度絡めて言えば、亡くなる直前であっても、感謝の気持ちをご家族と伝え合えた方は、それまでに仲たがいしていたとしても、忙しくて生活に必死な人生だったとしても、幸せと言えるのではないでしょうか。

アルテふくの斎苑社長(左)と葬儀屋の息子(右)

葬儀社の立場で、いろいろな方の話を聞いていても、生前に感謝を伝え合えたという方は全体の2~3割程度にとどまっているよう感覚があります。そして、その感謝や愛情を伝え合えなかった方々の多くは後悔しています。

だとすれば、お互い、生きているうちに感謝の気持ちを伝え合いたいですし、生前に仮に言いそびれてしまったとしても、葬儀の場で伝えられれば救われるのではないでしょうか。

僕たちのナレーションは、その感謝の気持ちを伝えるお手伝いでもあります。現に、ナレーションを通じて救われた、「ありがとう」の気持ちを代弁してもらえたと感じてくださる方もいらっしゃいます。

―― それだけの想いが込められているのですね。

葬儀屋の息子:はい。だから、このサービスを、アルテのやり方を葬儀業界に広められれば、救われる人、幸せを感じられる人が増えると思います。

―― 「人生で最も辛い1日を、幸せだった事に最も気づけた1日にする」というアルテのキャッチコピーの世界ですね。

葬儀屋の息子:そうでないと、僕が帰ってきた意味がありません。これからも、その想いで仕事に取り組んでいます。

―― 今日は、人の最期を見守っている数がけた違いに多いノブくんが、幸せな人生をどのようにとらえるかを知りたくて質問したのですが、思わぬ深さにたどり着きましたね。

幸せの相対化は難しいけれど、感謝の言葉を伝え合えた人生は少なくとも幸せなのではないか。

仮に言えなかったとしても、最期のお別れの場面で伝えられたのであれば救われるのではないか、そんな話を聞かせてもらいました。

アルテのナレーションや想い出ギャラリーのサービスは、その「ありがとう」を伝えるお手伝いでもあると分かりました。

今日は、まじめな話になりました。いつものように、笑うすきもありませんでした(笑)

葬儀屋の息子:そうですね。本当は最近、SNSで炎上して、その話をしようとも思っていたのですが全くできませんでした(笑)

―― なんですかそれは! 滅茶苦茶楽しそうな話です。

葬儀屋の息子:まあ、全然気にしていなくて、無双状態にむしろ入った感じがあるんですが。

―― その話題は来週にとっておくとしましょう。今日の話に戻ると、私自身も家族に、あるいは身近な人に「ありがとう」をもっと伝えようと思いました。

まずは、目の前のノブくんに対して実践します。いつも、ありがとうございます。

葬儀屋の息子:こちらこそ、ありがとうございます。

―― 今日のインタビューはこの辺にさせてもらいましょうか。また、来週もよろしくお願いします。

次回は、炎上した話についてたっぷりと。

葬儀屋の息子:そうですね(笑)こちらこそ、よろしくお願いします!

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